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天正9年(1581年)加賀藩主前田利家の招きで能登中居の鋳物師宮崎彦九郎義綱が金沢に移住し、武具の鋳造を行った。その子義一は、茶道の造詣深い5代藩主綱紀に仕え、茶道奉行として京都より招かれた千仙叟宗室の指導のもと鋳造技術を生かして藩御用釜師となり、幾多の名作を作った。 義一は、仙叟より寒雉菴号を受け、加賀茶の湯釜の創始者となり、以後代々襲命し、現在、13代寒雉氏が伝統の技術を守り、裏千家釜師として製作を続けている。 茶の湯釜には、風炉用と炉用があり、種類も30〜50種以上もあるが、時代とともに新しい型が生まれている。原料には、和鉄(昔のナベ、釜等のつぶし)を使用している。
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