【のとじょうふ】 |
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崇神天皇の皇女が能登の鹿西町に滞在した折、真麻の上布を作ることを土地の人に伝えたのが始まりと言われている。 元禄年間には、鹿島郡・羽咋郡の女子の主要な副業として織られ、近江商人によって販路が開かれていた。 明治以降も独特の櫛押し捺染や板〆、ロール染、型紙捺染と種々の方法により、絣柄や横惣、縮などを生産し飛躍的に伸びた。特に、織幅に十文字絣を120個から140個織り出す絣合わせの正確さにより上布の最高級品とされている。 しかし、生活様式の変化で需要が落ち込んでいるが、後継者育成などに努力が続けられている。 昭和35年石川県無形文化財に指定された。 |
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