(昭和63年6月9日伝産法指定) |
平治の乱(1159年)に敗れた源氏の落人が白峰村桑島へ逃れ、その妻が村人に機織を教えたのが始まりと言われている。江戸時代には白峰地方は天領となり、幕府の保護奨励策と商品経済の発展により全国的に名声を博した。 明治以降も養蚕の奨励と共に製糸や紬繊が伸びていたが、戦争により姿を消し、戦後、熱意ある人々の努力で復興した。 現在では手取川ダム建設により、白峰村や鶴来町に移住して生産されている。 |
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釘に引っ掛けても反対に釘が抜けるほど丈夫なため、別名「釘抜紬」と呼ばれた。普通、紬は真綿を手で紡いだ紬糸を織るが、牛首紬は、2匹の蚕がくっついて作られた玉繭から直接糸を引き出して製糸(座繰製糸)した、太く節のある絹糸で織るため、野趣に富んだ素朴な美しさを持ち、独特の味わいがある。 機織は長機(バッタン)の改良型で、すべて手織りである。 昭和54年7月24日石川県無形文化財に指定された。
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