(昭和50年5月10日伝産法指定) |
加賀地方には、約500年前ごろすでに梅染と称される無地染があった。無地染に模様が登場するのは、17世紀の中頃で、黒染の兼房染、色絵、色紋(加賀紋)がはじまった。これらを総称してお国染と呼ばれ、色絵防染に一陳糊が使われるようになり、友禅染が発達する素地ができていた。 正徳2年(1712年)宮崎友禅斎が京都から金沢の紺屋・太郎田屋の元に移り住み、加賀染を飛躍的に発展させた。友禅染は模様染の創始ではなくデザインの革新であり、友禅斎は加賀染に友禅画風をなびかせ、新しい模様を生み出し、それが後に加賀友禅と称されるようになった。 一方、18世紀末、金沢で板場友禅(型友禅)が起こり、袴や羽織に繊細な小紋が染められていた。 |
友禅染は、日本独自の染物であり、写実的な草花模様を中心とした絵画調の柄で、京友禅の図案調と対照的である。色合では淡彩の京に対し、多彩で濃い色調と三色ぼかし、アクセントに虫喰いなどの表現、友禅五彩(臙脂[えんじ]、藍、黄土、草、古代紫)などが使われ、独自の雰囲気を出している。なかでも、ボカシの技法は、京友禅の内から外へのボカシに対し、外から内にぼかすため優美な趣をもっている。 作業工程は京都ほど分業化が進んでいないため、量産には不利だが、逆に一貫性のある製作ができる。また、友禅流しで仕上げるため、本染めの味があり、防染のための糸目糊の細い白線が効果的に生かされている。 板場友禅は、模様を彫った型紙によって白生地の上に繊細な絵模様を染めるもので、手描友禅とは別な魅力がある。 昭和53年7月13日石川県無形文化財に指定された。
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