(昭和50年5月10日伝産法指定) |
江戸時代初期に、大聖寺藩主前田利治(加賀藩3代藩主前田利常の次男)の命で有田で製陶を学んだ後藤才次郎が、江沼郡九谷村(現山中町)で窯を築いたのが始まりとされている。 五彩で描いた美しく、力強い大胆な色絵は「古九谷」と呼ばれ、世界的に高い評価を受けている。しかし、約30年ほどで姿を消し、約100年後金沢の春日山窯、続いて小松で若杉窯が始まった。その後、吉田屋窯、宮本窯、永楽窯、小野窯等がそれぞれ特色ある色絵を作り出した。 江戸末期から明治初期にかけて活躍した九谷庄三は繊細で華麗な彩色金欄手を広め、産業としての九谷焼に大きく貢献した。 現在では、量産化に対応するため、素地づくり、上絵付けなど分業体制が確立している。 |
各時代、各窯の特徴ある作風がある。
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